すてぃんきー君の日記

「生きるための嘘や。天に在します御方も見て見ぬ振り、見逃してくださると思いますけどな」、、、モッキンポット神父

カテゴリ: 日本文学

やっとタイトルの内容に触れるのが、第2部、307ページ、

ここでやっと"騎士団長殺し"とはどう言う意味かがわかる、

そしてこの後村上作品おなじみの地下探検シリーズに移行、ストーリーは2冊目の<第2部終わり>として終わる、

しかしそうすると第1巻冒頭の<顔のない男>とは話がつながらない、
これが本当の終わりなの?
wikiを読むと「第3部があるか、まだ自分にもわからない」と言う話だそうだ、珍しく村上先生がインタビューに応じている、

読み終えて、"面白かった"と言うのが私の感想だ、しかし言いたい事、文章外に書かれている本当に先生が読者に伝えている事が何かは不明だ、するとこの小説は単なるラノベになってしまう、
村上先生はそう評価される事をはっきりと認識していると思う、彼はこのノベルの本文中で下記の様に自己分析している、
「あの川は無と有の狭間を流れています。そして優れたメタファーはすべてのものごとの中に、隠された可能性の川筋を浮かび上がらせることができます。優れた詩人がひとつの光景の中に、もうひとつの別の新たな光景を鮮やかに浮かび上がらせるのと同じように。言うまでもないことですが、最良のメタファーは最良の詩になります。あなたはその別の新たな光景から目を逸らさないようにしなくてはなりません。」
第2部、373ページ、
しかし並の頭しか持たない私にはそれを理解する事は不可能みたい、

山崎豊子、
醜男、
1959年、
「ああ、そう、そう、今晩は、東京から取引先のお客さんがあるさかい、宴会で遅うなるけど、お土産にちらし寿司でも掲げて帰るわな」

写真は 「山崎豊子全作品 第1巻 1957-1985 暖簾 花のれん しぶちん」
393ページ、

酔っ払いのお土産と言うとサザエさんが原点とされているが、ウィキペディアによるとアニメの初放送は1969年だそうだ、その10年前、

サザエさんのスタッフにこれを読んだ人が居てもおかしくない、

少年が東京から大阪を50ccのバイクで往復する話、
日記として一人称で書かれている、時代は1957年、昭和に直すと32年くらい、
きちがい、めくら、女のくさったの、そんな単語が頻繁に出てくる、だいぶ時代の違いを感じる、
なぜ知っていたのか知らないが、タイトルを思い出したので読んでみた、
感想は別として、いろいろ気づいた事を書いてみる、

まだホンダのバイクも無い時代らしい、東次郎少年が乗っているのはクライドラーと言うドイツ製のバイク、当時少年は15歳、文中14歳の誕生日に買ってもらったと書かれている、免許もその日に取ったと言う、当時はそんな年でも免許証は取れたみたいだ、許可証と言う言葉が出てくるが、これはナンバープレートみたいなモノらしい、挿絵をみるとバイクの後ろにプレートは付いていない、
また街なかの車もダッジとか外車ばっかりで日本車の記述は無い、

昭和32年、藤次郎くんは現在15歳、すると生まれは昭和17年、戦後の混沌混乱がずいぶん有った時代だと思うが苦労話はいっさい書かれていない、逆に周りの人びとはお金持ちとか外人とかしか出てこない、姉はテストが終わって父親から一万円もらったとかの記述も有るが、ずいぶん裕福な家に生まれたらしい、父親はどんな人物なのか気になるが、その点については触れられない、

さて、浮谷東次郎さんとは何ものか?
読み終わって表紙の裏を見てみると、鈴鹿サーキットに散った天才レーサー浮谷東次郎の、とある、、、私は本を読む時にはいきなり本文から始める、、、裏表紙の中側を見てみると、

ふーん、そう言う事!?

浮谷東次郎 - Wikipedia⇗

福井晴敏さんが新しいタイプの戦争を描いた作品、世界規模の経済戦争が繰り広げられる、話はデカい、
内容は割愛するが、福井さんが一番言いたかったのはここだろう、下巻82p、
「あんたが本当に心配しているのは、標準化された世界で自分たち以外の誰かが立ち上がり、主導権を奪われることだ。」
読者の方もここで敵味方がはっきり判る、


さて、いまちょうど遠藤が死んだところ、下巻539p、
現在の焦点は、
石は国連のポディアムに立ち、ハロルドを告発する事が出来るのか?
真舟は笹倉暢人を助けられるか?
そして、暢人の目的であるカペラ共和国の目論見は成功するか?
また亡国のイージスの様な予定調和的な終わり方にならない事を望む、

私が書いたベン・トーのまとめの一覧です、

↑このページのトップヘ